藤花一拝乙夜覧

藤花みのりちゃんコレクションの本を語るこーなー

#006 ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』

ー性的行動はひとつの社会階級システムである。

 

好きだけど人に勧めづらい作家っていると思う。私の場合、坂口安吾、エミール・シオラン、ミシェル・ウェルベックといったあたり。人に言えないのなら、じゃあここで書きゃあいいじゃないかと思い立ったので、さっそく書いていくことにしよう。

なお、本作には女性差別的な主張ととれる内容もあるので、そういうのに敏感な方は読まないことをお勧めします。念のため。

 

『闘争領域の拡大』(原題:Extension du domaine de la lutte)は、フランスの作家ミシェル・ウェルベックのデビュー長編にあたる作品。『服従』の人って言ったら伝わるかな。イスラーム系の政党がフランスの大統領選で勝利するって話。エンジニアとして成功している主人公と、その上司ティラスンがメインの人物になる。主人公(ぼく)は色恋に対してまったく関わりがなく、ティラスンは容姿の醜さと品性の下劣さから、女性関係を持てないでいる。話のメインは、その二人の出張の話になる。

 

ティラスンの女性関係を持とうとする努力は、実を結ばずに終わる。出張で乗り込んだ列車に乗り合わせた女子学生、バーで一人の女の子、誰にアタックしてもうまくいかない。主人公はそんなティラスンのことを軽蔑しながらも観察している。そして、動物小説を書きながら、自分の考えを展開していくところがこの小説の主軸になっているんです。ウェルベック自身も触れていますが、この作品は普通の小説のルールに従っては書かれておりません。主人公の「ぼく」の仕事ばかりの生活と、「ぼく」の観察から得られた哲学的省察がメインです。

 

「ぼく」とティラスンはそれぞれの理由で恋愛に関わっていない。「ぼく」は仕事や出張先でいろいろな女性と出会うものの、それらの出会いを快く感じていない。愛に懐疑的であるようにすら見えるが、愛の存在は感じている。その視線は、冷たさすら感じるが、どこか現実的な同情を感じざるを得ない。ウェルベックの語りは老練な哲学者のようで、しかし掲示板の落書きのような共感を感じさせてくれる。小説を読んでいるはすが、存在しないはずの人物のエッセイを読んでいるよう。古く立ち枯れた神木。そんな冷たさと暖かさがある。

 

本書が着目するのは、資本主義の恋愛面への侵入。資本主義の選択のシステムが、セックスに侵入していく過程を描く。なるほど、自由恋愛すなわち選択の自由の獲得。そして、恋愛的弱者の淘汰と搾取というわけだね。知り合いに出会い系アプリを見せてもらったことがあるんだけど、写真とプロフィールを見て、興味あるかないかクリックするだけ。究極的にはそれで選別が完了する。結婚と恋愛、セックスの結びつきが日本とちょっと違うフランスでは、婚外のセックスへの見方は変わるだろうけど、共感できない話じゃない。今、見合い結婚の数がちょっと回復してると聞いたことがあるけど、ある意味恋愛の資本主義化への無感覚な抵抗なのかもしれないね。

 

「ぼく」はティラスンとの出張の間、ある事件をきっかけに精神に混乱をきたし病んでしまう。果たして、「ぼく」はどのように生きていくのか、対話を楽しんでほしい。

 

どうでもいいが、私は作中、地下鉄の落書きのメッセージ「神が求めたのは不平等であって、不当ではない」が大好きだ。ウェルベック社会学的批判が凝縮された詩的な一文だと思う。

 

 

花粉症つらい。

なんでスギ同士のセックスに人間が巻き込まれなきゃならんのだ、こんちくしょうめ。